2006年 11月 14日 ( 1 )
欲望の少ない方へ・・・
この前、個人の写真学校を開いている先生とお会いした。
その時のお話が、しばらく心に残っている。

はじめから売るという目的で作るものはアートじゃない。アートとは、最初に表現したい作りたいという気持ちが先にあるものであって、完成して他人に見せたときに、他人が評価して、買うとなればはじめてそこで値段が付くものだと。何かしらの賞をとって、先生、先生ともてはやされて、それにふんぞり返って。その賞や先生という肩書きがなくなったときに、それでもそれを続けられるのか・・・。誰に認められなくても、それでもそれをしたいと思うのか・・・。アートとは、欲望の少ない方へ少ない方へいくべきもの・・・だと。

そして、同じような話を先日のお茶会でも会社でもした。
お茶会には、有名な工芸作家さんも来ていた。今、上野で「日展」をやっているけれど、そのレベルの先生。「先生は、日展にお出しになっているんですか?」という質問に、「出してないよ。だって、在庫の山、抱えたくないもん。」という答え。

そうなのだ。人間国宝といわれている人の作品でも、なかなか売れないという現実がある。自分の作るものを「アート」として「作品」として出した(言った)時点で、実は終わりなんだと思う。うちの会社で扱っている商品は、人の手で作り出す世界に誇れる逸品だと思う。けれでも、会社ではそれを「作品」という言い方は決してしない。人が暮す上で、生きていくうえで必要なものとして作られてきた物。「使ってなんぼ」の実用品だからだ。確かに、とても高いし手も込んでいる。美術品としても充分通用はする。けれども、私はそれらを「実用品としてどんどん使ってください」といって売っている。その商品を「作品」と呼ぶのは、作り出すほうではなく、あくまでも受け取る側、お客さん、他人・・・なのだ。

私は、数年前から石けんを作り始めて売ったりしている。物を作り出すということは、表現することにも繋がるから、私のことを「アーティスト」として、私の石けんを「作品」として扱ってくれる人がいる。それはとても嬉しくて有難いことだけれども、自分じゃそういうつもりは全然ないから、はずかしい時がある。自分がしたいだけだからしているのであって、自分が「アーティスト」とはこれっぽっちも思っていない。ただ、石けんにのせて伝えたいメッセージは沢山あるから、私は石けんを作る。最初は、お金を貰うことがとても悪い気がしていたけれど、最近は、それは買ってくれた人たちの気持ちだと思って有難く受け取るようにしている。でも、私はこれでお金をもうけようとは考えていないし、かといっていい加減にやっている訳でもない。ただ漠然と、これは私のライフワークなんだろう・・・と思う。もし、この先誰も買ってくれなくなって、誰も使ってくれなくなっても、たぶん私は石けんを作るんだろう。石けんを作って売ることに付随してきた物事を、たぶん私は簡単に捨ててしまえると思う。それは、私にとってとても身軽で心地よいことなのだ。
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by chio-ringo | 2006-11-14 13:25 | 音・芸・映